焚き火で河原の石が割れる理由|石のこと。板場では研ぐもの、畑では拾って捨てるものだった
河原で石を組んでかまどにしたら、しばらくして、ぱん、と乾いた音がした。
石はずっと身近な素材だったのに、火に入れたことだけが一度もなかった。
河原で石を組んで、かまどの真似ごとをしたことがある。
拾ってきた丸い石を三つ、風の向きを見ながら並べて、その真ん中で小枝を燃やした。
しばらくして、ぱん、と乾いた音がした。
薪が爆ぜたのだと思ったら、石のほうが割れていた。
欠片が足元まで飛んできて、そこで火を消した。
石は僕にとってずっと身近な素材だった。
板場でも、畑でも、走る仕事でも、毎日どこかで触っていた。
それなのに、火に入れたことだけが一度もなかった。
火に入る石と、入らない石がある
あとで調べて分かったのは、河原の石がいちばん割れやすい部類だということだった。
水辺で角が取れて丸くなった石は、長いこと水に浸かっている。
表面が乾いて見えても、内側には水が残っている。
そこを急に熱すると、中の水が蒸気になって膨らみ、逃げ場がないので石を割る。
軽石のように穴の多い石はもっと水を含むので、危なさも増す。
硬い石なら平気かというと、そうでもないらしい。
表面と内側で温度が違いすぎると、その差そのものが石を裂く。
要するに、乾いていて、ひびが入っていない石を選ぶという話に行き着く。
ただ、僕はもうやっていない。
焚き火台を持っていけば済むことのために、割れるかどうかを見立てる必要がない。
石は炉を作る材料としてはずいぶん優秀なのに、火のそばだけは僕の手に余った。
板場の石は、削るための石だった
店にいた頃、石といえば砥石のことだった。
荒砥、中砥、仕上げ砥と三つ並んでいて、朝と閉店後に必ず触る。
包丁を研ぐというのは、石で鉄を減らす作業だ。
減っていく音と、水の濁り方で、どのくらい削れているかを見る。
面白かったのは、砥石のほうも減っていくところだった。
使い続けると真ん中がへこんで、そのままだと刃がまっすぐ当たらない。
だから石を石で擦って、平らに直す。
道具を整える道具が、それ自体また整えられる側にいる。
研ぎ方を最初に教わったとき、包丁より先に砥石の面を見ろと言われた理由が、しばらく分からなかった。
畑の石は、取り除くものだった
畑をやっていた頃、石は完全に邪魔者だった。
耕せば出てくる。
雨が降れば、また下から上がってくる。
拾っても拾っても終わらないので、いつしか畝の端に石の山ができていた。
放っておけない理由ははっきりしている。
大根や人参は、石にぶつかると素直に伸びない。
先が割れたり曲がったりして、売り物にならなくなる。
鍬の刃も、硬いものに当たれば欠ける。
あそこでは、石は価値のないものというより、はっきりと「あってはいけないもの」だった。
同じ石が、板場では買って揃えるものになる。
価値が場所で反転するものを、僕はほかにあまり知らない。
走る仕事の石は、敷くものだった
長距離を走っていた頃に覚えたのは、砕石の駐車場のことだ。
アスファルトではなく砂利を敷いてある場所が、当時はずいぶんあった。
雨が降っても土のようにぬかるまないし、水が下へ抜けていく。
車を停めて寝るには、じつはこれがありがたかった。
もうひとつ、砂利には音がある。
誰かが近づいてくれば、必ず足音がする。
車の中で寝ているときに、その音は思ったより頼りになった。
静かなアスファルトのほうが快適そうに見えて、僕は砂利の駐車場を選んで停めていた時期がある。
同じ石が、置かれた場所で全部違う顔をしていた
削る石。
捨てる石。
敷く石。
そして、火に入れて割ってしまった石。
並べてみると、石そのものは何も変わっていない。
変わっているのは、僕がそれに何をさせようとしたかのほうだった。
砥石は削るために生まれてきたわけではないし、砂利は誰かの足音を鳴らすために敷かれたわけでもない。
ただそこにあるものに、人が役割を割り振っている。
割れた石だけが、割り振りを断ってきたということなのだと思う。
焚き火のあとに残る灰や消し炭のことをこのところ続けて書いてきたけれど、あれは燃えた結果として姿を変えたものだった。
石は燃えない。
燃えないものを火のそばに置いたときにだけ、あの音がする。