2026.09.15 泊まれる場所4,223 立ち寄りスポット46,522 営業中を確認したキャンプ場1,005 note を読む

塩を振る手つきだけは、二十年経っても直らない

板場で塩は、味をつけるためではなく水を抜くために使っていた。
畑ではその同じ性質が敵になる。白い粉のほうは、何も変わっていないのに。

家の台所で魚に塩を振っていたら、笑われた。

高いところから振るからだ。
肩のあたりまで手を上げて、指をこすりながら落とす。
ふつうに考えれば、そんな高さから落とす必要はない。まな板の上でぱらぱらとやれば済む。

でもあの手つきは、二十年経っても直らなかった。

高いところから落とすのには理由がある

板場で最初のころ、塩の振り方だけは何度も直された。

近くから振ると、塩は一か所に固まって落ちる。
高いところから落とすと、落ちるあいだに散って、面に薄く広がる。

魚の塩は、濃いところと薄いところがあると、そのまま仕上がりに出る。
濃いところは身が締まりすぎて硬くなり、薄いところは水が抜けきらない。
同じ一匹の中で、二種類の魚みたいになる。

だから高いところから落とす。
距離を取るのは、丁寧にやるためではなくて、むらをなくすためだった。

塩の仕事は、味をつけることではなかった

板場で塩がいちばんよく使われるのは、味付けではない。
水を抜くためだ。

魚に塩を当てるとしばらくして表面に水が浮いてくる。
生臭いと言われるにおいは、その水と一緒に出ていく。
拭き取って、それでようやく下ごしらえが終わる。

塩を当てる時間は、身の厚さで変わる。
厚い身なら長く、薄い身なら短く。時計は見ない。
触って、指が沈まなくなったところでやめる。

薄い魚に直接塩を当てると、身が痩せる。
そういうときは海水くらいの濃さの塩水を作って、その中で洗う。立て塩と呼ばれるやり方だ。
同じ塩でも、粉のまま当てるのと水に溶かして当てるのとで、入り方がまるで違う。

この「水を動かす」という感覚が、僕にとっての塩だった。
しょっぱくするための粉だと思ったことは、たぶん一度もない。

畑では、その同じ性質が敵になる

板場をやめてしばらく畑をやっていたころ、塩の話がもう一度出てきた。

ハウスで作物を作っていると、肥料が土に残っていく。
雨が当たらないので流れず、水をやるたびに表面へ上がってきて溜まる。
ひどくなると土の表面が白っぽくなる。塩類集積というやつだ。

そうなった土では、水をやっているのに作物が萎れる。
根のまわりの水が濃くなりすぎて、根が水を吸えなくなるからだ。
吸えないどころか、根の中の水が外に出ていく。

これは魚に塩を当てているのと、まったく同じことだった。
片方では水を抜きたくてやっていることを、片方では水を奪われて困っている。

白い粉のほうは何も変わっていない。
ただ水を引っぱっているだけで、それが都合のいい場所と、そうでない場所がある。
畑に立って初めて、板場でやっていたことの理屈が分かった気がした。

外に持っていくのは、いつも塩だけになった

キャンプの荷物から調味料を減らしていったら、最後に塩が残った。

胡椒も醤油も、無ければ無いで困らない。
塩だけは、無いと何も決まらない。

肉を焼くとき、いつ塩を振るかで別のものになる。
早く振りすぎると水が出て、焼く前に表面が濡れる。濡れたものは焼き色がつかない。
焚き火の上で、肉が煮えているような状態になる。あれはたいてい塩のせいだ。

厚い肉なら焼く少し前に。薄い肉なら焼きながら。
板場で身の厚さを見て時間を決めていたのと、やっていることは同じだった。

野菜も同じで、切ってすぐ塩を当てると水が出る。
出したいときと、出したくないときがある。
焚き火で焼くだけの日は、出したくないほうが多い。

もうひとつ、外で塩を使っていて気づいたことがある。
家では塩の味を意識しない。外だと分かる。
風があって、煙のにおいがして、手が冷えている状態で食べると、塩の粒の大きさまで舌に届く。

細かい塩は最初の一口で来て、すぐ消える。
粗い塩は噛んだ瞬間に来る。
焼いたものに最後にひとつまみ落とすなら、粗いほうがいい。

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手つきが直らないのは、たぶん理屈が残っているから

包丁の握り方や研ぎ方は、前に書いたとおり体に残っている。
ああいうものは、やらなくなればいずれ鈍る。

塩の振り方が直らないのは、少し性質が違う気がする。
手つきそのものではなく、「これは水を動かす道具だ」という見方のほうが残っている。

だから台所でも、無意識に散らそうとして手が上がる。
笑われても、たぶんこれは死ぬまで直らない。

ひとつまみ、という単位も直らなかった。
小さじで測ったことがないので、いまでも指三本でつまむ。
家族に「何グラム」と聞かれると答えられないが、魚の上に落ちた塩を見れば足りているかどうかは分かる。

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