2026.09.15 泊まれる場所4,223 立ち寄りスポット46,522 営業中を確認したキャンプ場1,005 note を読む

氷は当てるな、と板場で最初に言われた。冷やす道具だと思っていたから、意味が分からなかった

クーラーボックスの中で、氷が野菜をびしょ濡れにしていた。
冷やすつもりで入れたものに、冷やしたかったものをやられた。

クーラーボックスを開けたら、下のほうに入れていた野菜がびしょ濡れになっていた。

板氷を入れておいたのに、朝には半分溶けていて、その水に一日つかっていたらしい。
きゅうりは水を吸って重くなり、ラップの中まで水が回っていた。

冷やすつもりで入れたものに、冷やしたかったものをやられた。
そのとき、二十年前に言われた一言を思い出した。

氷は当てるな、と最初に言われた

板場に入ってしばらくは、氷を触る仕事ばかりだった。

魚を氷の上に置こうとしたら、そのまま置くなと止められた。
紙を一枚敷け、と。

理由を聞いたら、当てた面だけ白くなる、と言われた。
氷に直接ふれたところは締まりすぎて、身の色が変わる。ひと切れの中で、氷に当たっていた側と当たっていなかった側で、まるで別の魚みたいになる。

もうひとつは水だった。
溶けた氷は真水で、そこに魚が浸かると、味のある水分が外へ出ていく。
塩で水を抜くのは意図してやることだけれど、氷の溶け水がやるのは、こちらの意図と関係なく抜けていくほうだ。

塩の話はこないだ書いたけれど、水を動かすという意味では氷も同じ仕事をしている。
違うのは、塩は自分で加減できて、氷は放っておくと勝手に進むところだ。

いちばん冷えているのは、溶けはじめた氷だった

もうひとつ教わったのは、冷やすのは空気ではなく水だ、ということ。

かちかちの氷を並べただけの箱の中は、思ったほど冷えない。
氷と食材のあいだに空気があるからで、空気は熱をうまく運ばない。

本当に急いで冷やしたいときは、氷を溶かして氷水にする。
水は隙間なく回り込むので、同じ温度でも比べものにならない速さで冷える。

ただし、そこで最初の話に戻る。
冷えるからといって、そのまま浸けると味が出ていく。
だから袋に入れてから氷水に沈める。冷たさだけをもらって、水にはふれさせない。

この「近づけるけれど、ふれさせない」という距離の取り方が、僕にはずっと難しかった。

畑では、時間との勝負だった

畑をやっていた頃、氷の話はもっと切実だった。

収穫したばかりの野菜は、まだ生きていて熱を出している。
朝の涼しいうちに採ったつもりでも、コンテナに積み上げたまま日なたに置いておくと、中心から温まってくる。

だから採ったそばから日陰に運ぶ。
出荷する量が多い日は、氷を入れた水に軽くくぐらせてから箱に詰めた。

おもしろかったのは、教わり方が板場とそっくり逆だったことだ。
板場では「当てるな、浸けるな」で、畑では「早く冷やせ、水にくぐらせろ」。

同じ氷なのに、求められていることが正反対だった。
魚はもう死んでいて、味が抜けることのほうが問題になる。
野菜はまだ生きていて、温度が下がらないことのほうが問題になる。

減るのは、時間ではなく開けた回数だった

長距離を走っていた頃は、氷は飲み物のためのものだった。

夏場、運転席の後ろにクーラーボックスをひとつ置いて、朝に氷を買って入れる。
同じ量を入れても、持つ日と持たない日があった。

最初は外気温のせいだと思っていた。
そのうち気づいたのは、暑い日ほど自分がよく開けていた、ということだった。

開けるたびに冷たい空気が下から流れ出て、代わりに外の空気が入る。
そこから溶けが進む。

だから飲み物用と、その日食べるもの用で箱を分けた。
よく開けるほうと、朝からずっと閉めておくほう。
それだけで、夕方に残っている氷の量がはっきり変わった。

いまの入れ方は、ぜんぶそこから来ている

キャンプに持っていくクーラーボックスの中身は、この三つの仕事の寄せ集めになっている。

冷たい空気は下へ落ちるので、保冷剤は上に置く。
氷は下に敷いて、その上に一枚はさむ。溶けた水がふれないように、食材は袋に入れる。

飲み物は別の袋にした。開ける回数が違うものを同じ箱に入れない。

硬い箱は、いちばん持たせたいものだけを入れて、朝に閉めたらできるだけ開けない。
畳めるほうは、その日のうちに食べるものを入れて、何度でも開ける。
帰りは空になって畳めるので、荷室の底に沈む。

氷点下まで下がる保冷剤も一枚だけ入れている。
これは冷やすためというより、氷が溶けきる時刻を後ろにずらすために入れている。

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冷やすことは、時間を止めることではなかった

いちばん長く残っているのは、白くなった魚の切り口だ。

あれを見るまで、冷やすというのは時間を止めることだと思っていた。
止まっているのではなく、氷にふれている部分だけが先に進んでいた。

強く効かせようとして、いちばん効かせたくないところに効いてしまう。
塩でも火でも、たぶん同じことが起きる。

だから氷を入れるときは、いつも一枚はさむ。
ふれさせない、というやり方を教わったおかげで、いまも野菜が水を吸わずに済んでいる。

あの日のきゅうりだけは、間に合わなかったけれど。

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