鏡をいちばん見ているのは、自分の顔を見ない仕事かもしれない
自分の顔を映すための鏡は、見る時間が案外短い。
それでも一日中、鏡ばかり見て過ごす仕事がある。
自分の顔を映す鏡は、髭を剃るときに見るくらいで、じっくり眺める時間は短い。
鏡に興味のない人間だと思っていた。
でも考えてみると、一日にいちばん長く鏡を見る仕事がある。
数秒に一度、後ろを見る仕事だった
長い距離を走る仕事で、いちばん多く目をやるのは前の景色ではない。
ルームミラーと、左右のサイドミラー。
車線を変えるときはもちろん、まっすぐ走っているあいだも、数秒に一度は後ろを確かめている。
何時間も走った日は、前を見る時間と後ろを見る時間が、そう変わらない気がする。
この仕事の鏡は、映っているものを見るための道具ではない。
映っていないところを思い浮かべるための道具だと思う。
ミラーの端に消えていったバイクが、いまどのあたりを走っているか。
そこは鏡に映らない。
映らない場所を頭の中で描けるようになると、怖さが減るのだと思う。
広く映る鏡は、最初はかえって危ない
視界を広げようとして、曲面のワイドミラーに替える人がいる。
たしかに映る範囲は広がる。
そのかわり、後ろの車がやけに遠く見える。
曲面の鏡は、広く映すために像を縮める。
縮んだぶん、距離が遠いように見える。
頭では分かっていても、体は慣れるまでしばらくかかるはずだ。
道具を替えて視界が良くなったのに、慣れるまでは前より緊張するかもしれない。
見える範囲が増えることと、正しく分かることは別物だ。
板場のガラスにも、うっすら自分が映っている
寿司屋の板場も、鏡の多い仕事だと思う。
目の前にはネタを並べたショーケースがあって、そのガラスに店内が薄く映る。
手元を見ているつもりで、視界の隅には自分の顔と、カウンターに座るお客さんの様子が入る。
あのガラスは、鏡としてはずいぶん頼りない。
それでも、湯呑みが空になったことや、隣同士の会話が途切れたことは、そこで先に気づける。
振り返って確かめるより早い。
背中を向けたまま様子を知る方法として、あれほど便利なものはないと思う。
同時に、自分の姿勢も映る。
疲れてくると肩が落ちるのが、はっきり見える。
見られていると思って直すのではなくて、映っているから気づいて直す。
鏡があると、そういう直し方ができる。
いま、いちばん見ている鏡
わんこを乗せて車で出かけるなら、何度も目をやることになる小さな鏡がある。
後ろの席の様子が映る、手のひらほどのミラーだ。
そこに映るのは、たいてい丸くなって寝ているわんこだと思う。
走っているあいだは振り返れない。
声をかけても返事があるわけでもない。
それでも、眠っているのか、起きて外を見ているのかが分かるだけで、運転の気持ちがまったく違う。
サービスエリアに寄る間隔まで、その鏡ひとつで決められる。
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鏡は自分を映すものだと思いがちだ。
でも仕事や暮らしで長く見る鏡は、どれも自分以外を映すためのものだと思う。
後ろの車、店の様子、寝ているわんこ。
自分の顔が映るのは、そのついでみたいなものだ。
洗面所で自分と目が合うと、少し身構える人は多いと思う。
他人を見るための鏡には慣れているのに、自分を見るための鏡にはいつまでも慣れない。
そのくらいでちょうどいいのかもしれない。